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JATSの創設者、片桐ユズルが逝きました。

2023年10月6日、JATSの創設に貢献した片桐ユズルが92歳の生涯を閉じました。

ここで「片桐ユズル」という人について簡単に書きたいと思います。「片桐ユズル」は1931年に生まれました。最終的な肩書きは京都精華大学名誉教授です。こういう「大学教授」だと専門分野があるのですが、非常に多岐にわたっています。

谷川俊太郎さんとも深い交流のある詩人、2016年にノーベル文学賞をとったボブ・ディランの全詩集を翻訳したのも片桐ユズル。英語教師としてはGDM英語教授法、Basic English、一般意味論、センサリー・アウェアネス。英米文学者としてもオルダス・ハックスリー、バートランド・ラッセル、R.V.アーバン、ゲーリー・スナイダー、アレン・ギンズバーグ、ウイリアム・ライヒ、ポール・グッドマンなど。サイコソマティックの分野でもアレクサンダー・テクニークだけではなく様々なテクニークの本を翻訳、体験、探求してきました。日本のものですと1970年代前半から野口晴哉の整体協会のお稽古にも盛んに参加、個人指導も晩年も定期的に受けていました。また心理学の分野としてエンカウンター・グループにも繰り返し参加。1980年代ではその当時、バイオエネルギーと言っていたワークにも参加していました。

片桐ユズル自身が初めてアレクサンダー・テクニークを知ったのは1980年代初頭、オルダス・ハックスリーの影響からでした。そして初めてレッスンを受けたのは1984年、京都精華大学から与えられた特別研究期間中、アメリカ、サンフランシスコでした。

その後、アメリカでの長期間のワークショップ(リトリートワークショップ)を受講し、そこでアメリカ、ヨーロッパ、イスラエルの教師たちと出会い、1986年からアメリカとヨーロッパの各地からアレクサンダー教師を日本に招聘するようになりました。

京都を中心に各地で個人レッスン、ワークショップを長年、開催してきました。そして1993年、日本で初めてのアレクサンダー・テクニーク教師養成コースKAPPA(Kyoto Alexander Promoting Program Associates)を立ち上げました。そして片桐ユズル自身もトレーニングコースを受講し1997年に教師となりました。

また『アレクサンダー・テクニーク入門:能力を出しきるからだの使い方』(サラ・バーカー著 片桐ユズル監修、北山耕平訳、ビイング・ネット・プレス)、『ボティ・ラーニング:わかりやすいアレクサンダー・テクニーク入門』(片桐ユズル、小山千栄訳、誠信書房)をはじめ数多くのアレクサンダー・テクニークの本を翻訳して出版しました。

そして2006年、6月22日に様々な”スクール”でトレーニングを受けたアレクサンダー教師が集まる協会を作ろうと16人ほどの教師にメールを出したことからJATS(日本アレクサンダー・テクニーク協会Japanese Alexander Technique Society)は始まっています。そしてJeremy Channce ジェレミー・チャンスさんが親切にもそれまでのご自身のWebサイト(ATA)の教師一覧のドメインをJATSに提供してくれました。まさにJATSは「教師一覧」から始まったアレクサンダー・テクニーク教師たちが交流、サポートし合い、共に探求する場であります。

日本の方々にアレクサンダー・テクニークのことを知っていただくこともJATSのミッションの一つであることは確かでしょう。しかしそれだけではなく、片桐ユズルさんが考え、望んでいたことを皆さんにお伝えしたいと思います。

片桐ユズルがこの協会の運営に対して望んでいたことはこの協会がアレクサンダー・テクニークの原理に基づき、運営されるということです。決まったことを決まったようにするというより、片桐ユズルが考えていた「ユリカモメの民主主義」というやり方です。それはどういうものかというと、京都の鴨川にはかつてユリカモメが毎日、朝、琵琶湖からきて、夕方、また琵琶湖の寝床に帰っていきました。そのときのユリカモメの様子を片桐ユズルが称して「ユリカモメの民主主義」と言ったのです。

それは一羽のユリカモメが夕方になると鴨川上空に飛び上がります。そして上空を何度か回ります。そうすると、また一羽、別のユリカモメが上空に上がり何度も円を描いて飛びます。そのように一羽、一羽と次第にユリカモメたちが上空を何度も何度も回り、すべてのユリカモメが飛び上がるのを待ってから、琵琶湖へと帰っていくのです。

そこには「何分間」とか、「何かの合図」がなく、「なんとなく」すべてのユリカモメが合意したら、または準備ができたら、一緒に飛び立っている様子が本来の意味における「民主主義」ではないか、という片桐ユズルさんの主張です。「多数決」は一見、「民主主義的」な感じですが、まるで「数が多い方が正しい」かのような権力主義的な感じがします。

しかし、ユリカモメのように「みんなの準備ができるまで、結論がでるまで話し合い、感じ合い、共に経験し、試行錯誤し変容し続ける」ことができるsociety(社会、グループ、団体)ができたらどうでしょうか。

「合図を決めておいた方が効率が良い」「決め方が決まっていた方が安心だ」などという考えの方々も多いでしょう。アレクサンダー・テクニークの考えの基本の中に「目的達成主義的になりやすい私たちは、どのような瞬間にでも必要があればポーズ(一時停止)して異なる選択肢を選択する」という「抑制という原理」があると思います。

「決まっていることをする」「正しいことを間違えないで行う」というより、「瞬間、瞬間、動いている事態に対応できる私たち、アレクサンダー教師でいたい」という片桐ユズルの意思ではないかと私は理解しています。

また片桐ユズルは「アメリカから」と「ヨーロッパから」のアレクサンダー教師を日本に招待することで、日本を「西」からと「東」からのアレクサンダー・テクニークの合流地にすることを目指しました。これも「正しいアレクサンダー・テクニーク」の確立や理解を広めるというより、アレクサンダー・テクニークの原理を大切にすればするほど、「自分自身が教えるアレクサンダー・テクニークの確立」や多様性を探求していくことを私たちに望んでいたように私には思われます。

心より哀悼の意を表するとともに皆様にお知らせいたします。

2024年、5月

代表係 新海みどり

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